2014年08月23日

ぶらり、徳島へ山間の集落と酒蔵巡りに行ってみた【中編】

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さて、徳島市から南下して、途中かつて阪神方面への四国の玄関口として栄えた小松島市に立ち寄って見るも、古い町並みの収穫は無し。

(旧)羽ノ浦町を経由して南下し、阿南市長生町(ながいけちょう)というかつて市場町として賑わった小さな集落を目指します。

ここには清酒『津乃峰』を醸す津乃峰酒造という小さな酒蔵がります。創業は新しく昭和28年(1953)で、津乃峰とは阿波三峰の一つ津乃峰山のこと。

小さな倉庫のような酒蔵で、直売もしているようでしたが残念ながら本日はお休みの様で誰もいませんでした。
しかし津乃峰酒造のHPで購入する事ができます。

『津乃峰』
津乃峰酒造 株式会社
阿南市長生町諏訪の端11
0884-22-0606

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主要地方道羽ノ浦福井線「土佐浜街道」をさらに南下、桑野町で国道195号線を西に進むと山口町という小さな集落があります。国道沿いに蔵を構える、清酒『入鶴』を醸す近清酒造(ちかきよししゅぞう)は江戸時代後期の安政元年(1854)創業。

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蔵の近く、山口町田野集落は細い旧道に沿って街村が形成されていました。

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山口町田野集落から主要地方道山口鉦打線を南下すると、四国八十八箇所霊場第二十二番札所平等寺の門前町として栄えた町である新野町(あらたのちょう)があります。

案の定、門前町らしい町並みが残されていました。
かつては数軒の酒蔵や遊郭もあったといいます。

再び、来た道を戻り国道195号線を西へ。

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(旧)那賀郡鷲敷町(現・那賀町)の和食は古くから交通の要衝として町場が発展し、江戸期には那賀川水運の寄港地として陸路・水路のターミナル的な在郷町として栄えるなど、この地域における政治・経済・文化の中心地でした。現在も往時を偲ばせる家並みが残りますが、その中に江戸時代中期の享保10年(1725)創業、清酒『旭若松』を醸す那賀酒造があります。

今回訪れた時は、数日前にこの地域を襲った台風11号による那賀川氾濫の爪痕が残り、町中その復旧作業中だった為に町並みを撮影する事はできませんでした。
コンビニやホームセンターなど、ロードサイドの店舗も水没し、休業状態でした。

『旭若松』
那賀酒造 有限会社
那賀郡那賀町和食字町35
0884-62-2003

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さて、那賀川の上流を目指します。
(旧)相生町延野、(旧)上那賀町小浜、(旧)木沢村坂州と各町村の中心部にも足を止めてみるも、まとまった町並みはありませんでした。そして最後にして那賀川流域最奥の自治体、木頭村の中心部和無田(わんだ)になんとか街村の町並みに出会えました。

さて、ここから先、ひと山北側の勝浦川流域にある勝浦町に行きたいのですが、先の台風11号の影響で山間部の道が随所で寸断され、やむを得ず来た道をひたすら引き返す事になりました。

途中何度か道をそれ山越えに挑みましたが、いずれも通行止めで無駄な時間を浪費。なんとか阿南市に入ってすぐの阿瀬比町(あせびちょう)から北へ延びる主要地方道阿南小松島線で、加茂町、小松島市櫛渕町を経由して勝浦川流域の勝浦郡勝浦町に辿り着きました。

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勝浦川は蛇行しながら徳島市内に流れる川で、ゆえに古くにはこの地域と徳島城下を結ぶ水運が発達。かつて水運の河港として栄えた定岡地区に蔵を構える、明治38年(1905)創業で『桂華』を醸す定作酒類醸造場(じょうづくり)を目指しました。

が、連休中のしかも夕方6時近くをまわっていた為に店舗はお休み。しかもこの蔵も地元の流通にも卸さない蔵元でしか買えないお酒なのです。残念...。

『桂華』
有限会社 定作酒類醸造場
勝浦郡勝浦町大字三渓字定岡102-3
08854-2-2052

本当はこの先、バイク乗りの聖地にして棚田の里としても知られる上勝町にも足を伸ばしたかったのですが、本日はタイムアウト。とりあえず、日もどんどん落ちて行くのでお急ぎで北上します。

本日はまだ宿をとっていません。明日の行程を考えながら途中の宿を探すも、徳島市内に到着。市内は「阿波踊り」イベントで渋滞しているので、回避する為に少し山間部を走り、名西郡神山町経由で同じく名西郡石井町の国道192号線に出て、あとはひたすら阿波池田(三好市)を目指しました。

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阿波池田に到着したのは夜の8:30。前もって
目星を付けていた市内の旅館「大黒屋旅館」にアポ無し交渉。無事素泊まり5,000円で泊めていただく事ができました。このあたりは町の中心部から少し離れているので、居酒屋など食事をできるような店は無く、しかしすぐ近くにコンビニ「ローソン」があるので、そこで晩酌の酒肴を買い込み、暑い風呂に浸かってから...1日目が終わりました。

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で、翌日は朝の5時に出発。
前日チェックインの際に翌日発つ時間を宿の方に告げていたのですが、まさかこの時間にお見送りされるとは思いませんでした。

外は少し小雨です。
今日は久々に祖谷地域を目指します。
祖谷を訪れるのは実に10数年ぶりです。初めて四国に足を踏み入れ、最初に宿泊したのが祖谷だったのです。

途中、(旧)山城町の阿波川口に寄り道。
現在大歩危・小歩危の景勝地として知られるこの地域は、かつては山城谷村と呼ばれ、土佐国と国境を接する地であったことから阿波の蜂須賀氏はここを戦略的要衝とした地でもあります。

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JR阿波川口駅周辺の旧道沿いに古い町並みが残り、吉野川に山が迫った平地の少ない土地ゆえに、多くの施設や住居が断崖にせり出して建っています。

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そしていよいよ、山を越えトンネルを潜り、秘境の里として知られる祖谷へ。
10数年ぶりの訪問で感慨深いものがありましたが、そこへまさかの大豪雨。シチュエーションは良いのですが、この悪天候でこれより先に進むのは危険と判断。

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(旧)西祖谷山村内をぐるっと廻って、祖谷の里を後にしました。
またいつか、そう紅葉の季節にでも来ようと...。

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三好市に入って途中(旧)池田町の白地に立ち寄り。
愛媛、香川、徳島、高知を結ぶ四国の十字路と呼ばれた要衝で、かつては吉野川水運の河港としても栄えた町。
国道32号線沿いに町並みがあったので歩いてみました。

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四国三郎と称される吉野川の上流はこんなに穏やかで幻想的でした。

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さて、この近くにも酒蔵があります。
阿波池田には4軒の酒蔵(焼酎・みりん蔵を加えると5軒)の内、町の中心部から離れた場所にあるのが、安政2年(1855)創業で清酒『笹緑』を醸す矢川酒造です。まだ朝でしたが、ダメ元で蔵に電話。女将さんが対応してくれました。蔵で創業年数を聞くと明治に入ってからとの事。例えば明治14年(1885)は安政2年(1855)と西暦が1文字違いなので、どこかで誰かが間違えたのでしょうか。

『笹緑』
矢川酒造 株式会社
三好市池田町白地井の久保386-1
0883-74-0611

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そして再び阿波池田へ。
この町で最も有名なお酒『三好菊』を醸す三芳菊酒造は酒蔵としての創業は明治22年(1889)ですが、それ以前はこの地に配された武家だったといいます。

『三好菊』
三芳菊酒造 株式会社
三好市池田町サラダ1661
0883-72-0053

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『三好菊』三芳菊酒造の裏手に建つ酒蔵が、清酒『今小町』を醸す中和商店です。創業は阿波池田で最も古い享和2年(1802)です。

阿波池田は交通の要衝に加え、葉たばこの産地として栄えた町で、たばこ商人が軒を連ねた町でした。しかし日清戦争後にたばこの専売制が敷かれ、多くのたばこ商が廃業か他の業種への転換を迫られたのです。阿波池田は水に恵まれた土地で会った為に、多くのたばこ商人は酒や味噌、醤油など醸造業へと転身をはかり、かつてこの町には20軒近い酒蔵があったといいます。

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今も往時を偲ばせる重厚な白壁商家の家並みが残るマチ地区のメインストリートに建つ酒蔵が、清酒『阿波踊』を醸す真野武酒造です。この蔵もたばこ商から転業したそうです。
現在は地元には流通せず、徳島市や県外が主な出荷先だそうで、電話をかけて対応していただきました。現在は酒蔵の一部を利用して、郷土料理の店「うだつ」を経営しています。ちなみに蔵元は真野家、屋号の「真野武酒造」は創業者「真野 武之吉」に由来します。

日も昇ってきたので、徳島最終日(2日間の滞在だけど)の1日が始まります。

つづく...


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