2016年09月03日

ぶらり、ジャガーXFに乗って山形の酒蔵を廻ってきた【第七話】

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山形二日目。

5時に目覚める。

昨日の夕方から降っていた雨は止んでしました。

歯を磨いて顔を洗い、荷物をまとめて「余目ホテル」を出発。

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余目町は庄内地方の中心に位置する2万人の町で、2005年に立川町と合併し庄内町に。
JR羽越本線と陸羽西線が分岐する鉄道の要衝。

江戸時代から新田開発が行われた水田地帯で、現在の余目駅周辺は初め人家が一軒もありませんでしたが、鉄道開通と共に商店、旅館、民家が集まり市街地化して形成された町。

この余目には市街に酒蔵が2軒あります。
二日目のスタートとしてもベストな宿の立地でした。

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まず最初は庄内余目病院近くにある鯉川酒造。


ちなみに、庄内地方の旧家は佐藤氏が多く、今日これから紹介する酒蔵の蔵元もほとんどが佐藤姓です。

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余目は幕府の直轄地「天領」で、治安維持の為に江戸から武士が派遣され駐屯しました。
やがて帰農化して庄屋になった武士が蔵元の先祖だとか。

酒造りは江戸時代中期の享保10年(1725)に佐藤多郎左衛門氏が「和泉屋」の屋号で創業。当時の酒銘は『和泉屋 多郎左衛門』と結構今風。

現在の『鯉川』は明治の中頃に生まれたそうです。

蔵元は佐藤氏。


『鯉川』
醸造元:鯉川酒造株式会社
URL:なし
住所:山形県東田川郡庄内町余目字興野42
電話:0234-43-2005
創業:享保10年(1725)


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次ぎは鯉川酒造から2〜3分、庄内町総合体育館近くにある合名会社佐藤佐治右衛門。

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日本を代表する桜の意味をこめた『やまと桜』とい酒銘のお酒をつくる藤佐治右衛門は明治23年(1890)の創業。

大きな酒蔵でしたが、ほとんどが地元で消費されているそうです。

蔵元は佐藤氏。

『やまと桜』
醸造元:合名会社佐藤佐治右衛門
URL:なし
住所:山形県東田川郡庄内町余目字町255
電話:0234-42-3013
創業:明治23年(1890)


次ぎは羽越本線を越え、最上川に架かる庄内橋を渡って対岸の旧・飽海郡(あくみぐん)松山町へ。

余目は東田川郡でしたが、川を渡ると飽海郡になるのですね。

松山町は小さな城下町「松嶺町」を中心地域として発達してきた町で、平成の合併で酒田市と合併してその一部となりました。

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江戸時代は庄内藩の支藩、出羽松山藩2万5,000石の陣屋町で、明治2年(1869)に「松嶺藩」(まつみねはん)と改称しました。

現在、酒田市で唯一の大手門が残されています。

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松山酒造はかつての城下町の南側に位置する荒町で江戸時代後期の文政12年(1828)に創業。

以前は藤屋酒造本店という社名で酒銘も『天盃富士』でしたが、平成7年から社名を松山酒造に、酒銘も『松嶺の富士』と改めました。石数300石ほどの小さな酒蔵です。

蔵の前の道路中央を流れる水路は農業用水路「上堰」といいます。

蔵元は佐藤氏。

『松嶺の富士』
醸造元:松山酒造株式会社
URL:http://fujiyashop.pripri-online.com/
住所:山形県酒田市字荒町17
電話:0234-62-2003
創業:文政12年(1828)


ここから国道345号線に沿って北上していきます。

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次の町、旧・飽海郡平田町は農業と林業、畜産を中心とした人口約7,000人の町でしたが、平成の合併で酒田市と合併してその一部となりました。

町の玄関口はJR羽越本線の砂越駅。

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国道から逸れて、水田の中を走るとつきあたりの山麓に楯の川酒造があります。

上杉藩の家臣から酒造りを薦められた事がきっかけで、江戸時代後期の安政元年(1854)に酒造業を開始。
その翌年に荘内藩主酒井忠発から、地名の「山楯」にちなんだ銘『楯野川』と名付けられました。

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ちょっと変わった生い立ちの蔵ですが、蔵が大きくなるにつれ、酒銘の『楯野川』の「野」が平仮名に変わり『楯の川』へと変わりました。最盛期には約3千石を造っていたとか。

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しかし日本酒不況が席巻する中で、現在は全量純米酒を少量生産。問屋流通から専門店直流通に切り替え、酒銘も元の『楯野川』に戻しました。


蔵元は佐藤氏。

『盾野川』
醸造元:盾の川酒造株式会社
URL:なし
住所:山形県酒田市山楯字清水田27
電話:0234-52-2323
創業:安政元年(1854年)



次の町、飽海郡八幡町はわずかな平野部と山麓部、山間部からなる人口約7,000人の町でしたが、平成の合併で酒田市と合併してその一部となりました。

最寄り駅はJR羽越本線の南鳥海駅(酒田市)ですが、実質的な玄関口の駅は遊佐駅です。

町にある八幡神社(通称・市条八幡宮)が町名の由来で、出羽国の総社であったと言われています。
京都の石清水八幡宮より平安時代の元慶元年(877)に勧請されました。

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町の中心部の麓地区で明治27年(1893)に創業した麓井酒造の佐藤家はこの地域の地主でした。
創業当初の屋号は「長介」で、酒銘は現在と同じ『麓井』。

蔵元は佐藤氏。


『麓井』
醸造元:麓井酒造株式会社
URL:なし
住所:山形県酒田市麓字横道32
電話:0234-64-2002
創業:明治24年(1894)


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北上の折り返し地点、飽海郡遊佐町(ゆざまち)は、秋田県と接する庄内平野の北端で山形県の最北部にある人口約1万6000人の町です。

町の南郊外の田園地帯。八幡町と接する遊佐町の南端の山麓、上蕨岡(かみわらびおか)地区に蔵を構える杉勇蕨岡酒造場は、羽州ーの宮『大物忌神社』への参拝客の需要を満たすため、江戸時代より続く『鳳正宗』と当時の酒造組合長だった酒田の『杉勇酒造店』が大正12年(1923)に合併して設立された酒蔵です。

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酒銘は、酒林や樽などの材料となり酒になじみの深い「杉」にちなんだもの。

蔵元は初めて佐藤氏ではなく茨木氏となりました。

『杉勇』
醸造元:合資会社杉勇蕨岡酒造場
URL:なし
住所:山形県飽海郡遊佐町大字上蕨岡字御備田47-1
電話:0234-72-2234
創業:大正12年(1923)

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JR羽越本線・遊佐駅の次の駅、吹浦(ふくうら)は山形県最北端の小さな漁村集落です。この吹浦集落の外れに『東北泉』を醸す明治35年(1902)創業の合資会社高橋酒造店があります。

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蔵の目の前を羽越本線が走ります。

小さな酒蔵ですが、醸造されるお酒は全て本醸造酒以上の特定名称酒というこだわり。
『東北泉』の由来は東北の鳥海山麓の泉から造られる酒という意味だそうです。

蔵元は高橋氏です。

大きな酒蔵や倉庫はあるのですが、社屋や入り口が分かりません。

付近をうろうろしていて、やっと見つけました。
ふつうの民家の入り口かと思ったところが、どうもそれらしい。

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表札もちゃんとありました。

『東北泉』
醸造元:合資会社高橋酒造店
URL:http://www.touhokuizumi.co.jp/
住所:山形県飽海郡遊佐町大字吹浦字一本木57
電話:0234-77-2005
創業:明治35年(1902年)


さて、やっとここから折り返し。

国道7号線「羽州浜街道」をひたすら南下していきます。

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ちょっと、その前に。

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山形最北端、秋田県との県境まで走って日本海を眺めました。

さ〜て、あともう少しです。



第八話(最終話)へつづく...


山形の酒蔵。各蔵の地酒の紹介と感想はこちら「一路一会のぶらり、地酒日記」。




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