今日は東京の港区にある酒蔵に行ってきました。
東京港醸造(とうきょうみなとじょうぞう)・Tokyo Port Brewery
新しい酒蔵です。
2011年に開業した都心のオフィス街の中に蔵を構える酒蔵です。
主力銘柄は『江戸開城』
東京には2017年現在で10軒の造り酒屋があります。
内23区内では北区赤羽で『丸真正宗』を醸す小山酒造が唯一の酒蔵でした。
JR田町駅の三田方面の出口を出て、第一京浜(国道15号線)を浜松町方面に約10分ほど歩いた場所に東京港醸造はあります。
芝四丁目交差点近くにある芝サンエスワカマツビルの裏手、ビルとビルに挟まれた小さな4階建ての「若松屋ビル」が東京港醸造です。
ちなみに私はずっと「とうきょうこうじょぞう」だと思っていましたが、正しくは「とうきょうみなとじょうぞう」でした。
この敷地22坪の鉄筋コンクリート4階建てのビルの中で、東京港醸造は酒造りを行っています。最新の機器を使い年間を通して四季醸造を行っています。
ビルは酒蔵として設計建築されたものではなく、普通の雑居ビルを酒蔵に改装したとか。
米は3階の冷蔵スペースで洗い、蒸しの作業は4階のベランダで。そして再び3階の仕込み部屋にあるタンクへ落としていきます。
2階には搾り機があり、搾った酒は澱下げ後に1階へ降りていき、瓶詰めや火入れ作業。
そしてラベルを貼って出荷されます。
1階の入り口に2畳ほどの小売りスペースがあります。
「東京港醸造」は実は屋号で会社名は若松屋といいます。(平成28年9月に株式会社 若松に社名変更)
若松屋の社長斉藤俊一氏が酒造りを始めるきっかけは、地元商店街の衰退をなんとかしようという思いからだったそうです。
斉藤俊一氏は七代目にあたり、若松屋は江戸時代からこの芝で商いを行っていました。
「商店街おこし」を模索していた中で、家の歴史を調べると斉藤家は江戸時代にこの場所で造り酒屋を営んでいた事がわかりました。
しかもかなり大きな酒屋だったそうです。
二十三軒間口の大屋敷で、居酒屋部分と酒蔵部分、それに特別な要人を接待するための奥座敷が設けられ、さらには直接東京湾に通じる水路があったと言われています。要人の脱出用です。
ただの商人では無かったようです。
近くに薩摩藩の上屋敷があり、その縁で薩摩藩の御用商人となり、清酒やどぶろく、焼酎など納入して大きくなったそうです。
隠密に会合を持つには格好の立地だった事から多くの要人たちの密談の場となり、幕末には西郷隆盛、勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟と言った歴史に名を残す偉人が頻繁に訪れ、この「若松屋」で江戸城無血開城が合意されたと言われています。
そのエピソードが酒銘『江戸開城』の由来でした。
幕末の動乱を経て明治になると、かつて江戸城の大奥で「天璋院篤姫」に使えていた三代目斉藤茂吉の妻・しもが若松屋の経営を引き継ぎます。
四代目の斉藤茂吉は「東京市酒造組合」を設立して初代組合頭取に就任しますが、彼は道楽者だったそうで、しもが若松屋を支えていました。
しかし、日清日露戦争の影響によって経営が傾き、また四代目茂吉としもが相次いで他界した事により、明治43年(1910)に若松屋は酒造業を廃業します。
その後は親戚の支援のもと食堂を経営。戦後は雑貨業を営み今に至ります。
100年ぶりに酒蔵を再開しようとしたものの、さすがに再開は多難でした。
すでに酒造免許は無く、国も新規の清酒製造免許は付与しない方針でした。
しかし粘り強く申請した末にその他の醸造酒とリキュールの2種類の製造免許を取得。
ゆえに『東京港酒造』ではなく、『東京港醸造』の屋号なのですね。
そしてついに平成28年(2016)清酒製造免許を取得し、東京で10番目の清酒醸造メーカーとなりました。
現在の生産量は100石(一升瓶換算で1万本)ほど。
生産が注文に追いつかないそうで、これから石数を増やしていくそうです。
がんばってほしいですね。
東京港醸造 本店(株式会社 若松)
URL:http://tokyoportbrewery.wkmty.com/
住所:東京都港区芝4-7-10
電話 : 03-3451-2626
営業時間:11:00-19:00(月-金)11:00-17:00(土)
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