2018年09月30日

ぶらり、Kawasaki Ninjya ZX-10R(2018)に乗って群馬県神流町の『今井屋旅館』に泊まってきた

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ずっと以前から気になっていた宿。

「奥多野」と呼ばれる群馬県の西端部、清流神流川上流域にある多野郡神流町 (かんなまち)は万場地区にある木造3階建ての老舗旅館『今井屋旅館』に泊まってきました。

創業350年を迎える老舗の旅館です。

交通の不便な場所にあるので、今回はKawasaki ZX-10Rでのツーリングと掛け合わせて、1泊だけお世話になりました。

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現在は「上州やまびこ街道」とい愛称で呼ばれている「十石峠街道」現・国道462号線・国道299号線沿いの小さな町「万場」は中山道の裏街道でもあったこの街道の宿場町として発展した町でした。

この多野郡万場町は「平成の大合併」で2003年に同じく隣町の多野郡中里町と合併して多野郡神流町 (かんなまち)となりました。

それでも人口約2000人が暮らす山間の小さな町です。

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神流町の中心部は万場に置かれました。

かつて多野郡の中でも最大の宿場町だった万場宿。

この万場地区の中心に建つ木造3階建ての『今井屋旅館』は創業350年を迎える老舗の旅館です。

ちなみに、隣の上野村に同じ様な屋号の『今井家旅館』がありますが、こちらは「家」、万場宿の方は「屋」で、繋がりは全く無いそうです。

上野村の『今井家旅館』は前回お世話になりました。

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ちなみにバイクは宿の裏手に駐めさせてもらいました。

車で来られる方は町役場近くの駐車場に駐めるそうです。

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宿の裏を流れる清流・神流川。

宿の建物は直接は川に面していません。

川沿いにはこの宿のバーベキュー施設があります。

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この『今井屋旅館』は手打ち蕎麦で有名だそうで、土日祝日の昼間は1階の食堂で蕎麦屋を営業しているそうです。

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サッシではなく、まだ木製の建具の入り口。

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1階帳場。

詳しくは後述しますが、江戸時代前期に創業した『今井屋旅館』は、明治25年にこの地域を壊滅させた大火によって消失し、その後に建て替えられたものです。それでも築120年以上の歴史を誇ります。

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歴史を感じさせる黒光りした廊下や階段。

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階段は100年前の建築らしいかなり急勾配です。

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今回案内された部屋は3階奥。

角部屋、ではなく独立した棟。

離れのような雰囲気の広い部屋でした。

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エアコンは付いていますが、季節的に窓をあければ涼しい(冷たい)風が入ってきます。

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窓から見える奥多野の山々。

裏手を流れる清流・神流川のせせらぎ。

日没と共に聞こえ出す虫の鳴き声...。

癒やされます。

街道に面してしますが、交通量はまるでなく静かです。

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部屋数は多く、団体客対応のトイレ、洗面台と共に商人宿のような広さを持っていますが、現在は宿泊者数を抑えているようです。

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浴室は温泉ではありませんが、広く、入浴剤が入れてありました。

24時間入る事ができるそうです。

温泉では無いので燃料代が大変ではないかと心配してしまいました。

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少し休んで万場宿を歩きました。

万場宿は古くから信州と上州を結ぶ十石峠街道の宿場町として発展し、江戸時代も中山道の裏街道として栄えました。

十石峠の由来は、上州側のこの山中領が平地が少なく米作りができないため、信州から1日十石(約1,500kg)の佐久米を移入した事にちなみます

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江戸時代の記録では天保11年で81軒もの商家や民家が建ち並び山中領における商工業の中心だったそうです。

江戸時代中期から年12回の市が立つ市場町でもあり、享保16年(1731)から毎月1と6の日に六斎市が定められたそうで、明治期に入ると3と6の日に改められ、春と夏は「紙市」、秋と冬は「糸市」が開かれました。

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しかし、明治25年4月8日に塩沢村で発生した山火事が万場上宿にも飛び火し、万場宿を含めた以東の町や集落を焼き払うという大火が発生します。

郡役所、裁判所、学校、警察署、郵便局を含めた234軒を焼き払いました。

現在建つ木造3階建ての『今井屋旅館』はこの時建て替えられたものです。

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万場宿の西側に建つ「たじまや旅館」もまた創業270年の歴史を誇る旅館で、明治25年の大火で唯一燃えずに残った建物だったそうですが、残念ながら旅館業はやめてしまったようです。

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今も所々に宿場町を忍ばせる建物が残ります。

街道沿いに立ち並ぶ小さな町ですが、酒屋が4軒もありました。

お茶とビールを買って宿に戻ります。

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部屋に戻って風呂上がりにテレビを見ながら1杯。

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食事は1階の食堂では無く部屋出しでした。

料理を持ってあの狭く急勾配の階段を上げ下げするのは大変ではないかと思いました。


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地酒を1本お願いしました。

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そして良い気分になったので、布団でごろり。

今日は気温が低くてエアコン要らず。

窓が2面あるので風通しも良く快適に寝ることができました。

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翌朝の朝食。

今日は昼までにバイクを返却しないといけない為、朝食の用意は7時にお願いしました。

6:30に起きて朝風呂に入り、朝食を頂いて8:00に宿を出発。

ちなみに万場宿へはJR高崎線の新町駅かJR八高線の群馬藤岡駅から(1日に数本)バスが出ています。

『今井屋旅館』ホームページ
電話:0274-57-2006
住所:群馬県多野郡神流町万場25



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posted by 太泉八雲 at 04:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 特集・古民家の宿・旅籠
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