2020年01月05日
ぶらり、2020年の年越し&初詣は秋田に行ってきて、鉄旅もしてきた【第4話】
「新年明けましておめでとうございます」
と、言うながれでの2020年、2日目の朝。
私は秋田駅にいた。
そして、6:50秋田発・酒田行きの普通列車(530M)に乗って羽後本荘を目指します。
天気は穏やか。
羽越本線を通勤列車仕様の701系は軽快に走ります。
正月の早朝の列車なのに、車内にはそれなりに乗客がいました。
今日は、東日本のローカル線で最後の未乗車区間である「由利高原鉄道」に乗るのが目的です。
まだ真っ暗な時間に出発した列車も、明るくなった7:38に羽後本荘駅に到着。
この時間の乗り継ぎは良く、7:46発矢島(やしま)行きの一両編成の気動車が車体を震わせながら出発を待っていました。
平成26年(2014)に投入された新型車両の「YR-3000形気動車」青編成。
長崎県を走る松浦鉄道MR-600形をベースに雪国仕様に設計された車両で日本車輌製造製。
3両が製造され「緑」、「赤」、「青」のテーマカラーの編成となっています。
「緑」は鳥海山麓に広がる田園、草花、木々の緑。
「赤」は秋田県旗の赤。
「青」は豊かな水、沿線の子吉川の青。
車内は新造車両をイメージさせます。
さらに、手作り感のあるテーブルがまた良いですね。
位置、高さが丁度いい。
羽後本荘駅を出発した「おばこ」列車は暫く羽越本線と併走して走り、やがて進路を東へ変えていきます。
差し込む太陽。
ああ。
ある意味「初日の出」です。
この由利高原鉄道の路線名は「鳥海山ろく線」ですが、なにげに線形が良く、軽快にスピードを上げて走っていきます。
想像していた以上に小気味よく楽しい。
さて、
この第3セクターの「由利高原鉄道」もまた国鉄から分離された赤字ローカル路線です。
元の路線面は国鉄「矢島線」。
羽後本庄市郊外の旧由利郡矢島町との間、距離23.0kmを12駅で結んでいます。
現在は盲腸線となっているこの旧国鉄矢島線ですが、元々は
「秋田県本荘より矢島を経て院内に至る鉄道」として計画されたように、奥羽本線と結ばれるはずの路線でした。
さらに元々のこの路線は地元資本の鉄道会社「横荘鉄道」が建設したものでした。
「横荘鉄道」の社名は「横手と本荘」を結ぶ意味。
それを昭和12年(1937)に国が買収国有化して国鉄の路線となったのです。
はじめは本荘側の西線と横手側の東線と両側から建設が開始されました。
しかし国有化されたのは本荘側からの東線だけだったのです。
残された西線は羽後交通横荘線として建設が進められますが、豪雪地帯の険しい山越えの難工事。
さらに昭和恐慌や先の戦争によって建設は進まず、追い打ちをかけるように自然災害によって多大な被害を被り、昭和46年(1971)に全線が廃止されてしまいました。
会社名や路線名にある「高原」や「山ろく」のイメージを体感しないまま、列車は終点の矢島駅に到着しました。
ちなみに、ずっと気になっていた車体に書かれた「おばこ」の意味とは秋田弁で「娘」のことだそうです。
終点の矢島駅は由利高原鉄道の本社でもあって有人駅。
改札で片道610円を払います。
旧由利郡矢島町は古くから水運と諸街道の交じわる要衝であり、生駒家1万5000石の矢島藩の陣屋町でもあった町です。
合併前は人口約6000人の小さな過疎の町でしたが、この矢島町には一度来てみたいと思っていました。
それは、2軒の酒蔵があるからです。
なんと、車両基地にその2軒の酒蔵の看板が。
『天寿』の天寿酒造と『出羽の富士』の佐藤酒造店です。
いずれも駅のすぐ近くにあるのです。
駅の目の前にあり、車窓からも酒蔵が見える天寿酒造。
明治7年(1874)の創業で、当主は代々永吉を名乗ります。
戦時中の企業整備令によって由利酒類製造・矢島第一工場となりますが、昭和31年に個人で分離独立。
昭和43年に天寿酒造株式会社として出発して現在に至ります。
矢島の町を歩いて、佐藤酒造店を目指します。
佐藤酒造店は小高い丘の上にありました。
明治40年(1907)に初代初代佐藤久吉が創業。
矢島の町は連続した町並みはありませんでしたが、所々に古い建物が残されていました。
ぐるり一周して駅に戻ってきました。
駅にも両酒蔵の商品がフルラインナップで展示してありますが、販売はしていないそうです。
ただし...
カップ酒は販売していました。
帰りのキップ(硬券)と共に購入。
旅の記念。
(って、言うかこの後恐らく飲んでしまうだろう。)
由利高原鉄道は台湾国鉄の平渓線(へいけいせん)と姉妹提携しているらしい。
お互い盲腸線だし。的な?
イメージ的には集集線(しゅうしゅうせん)か内湾線(ないわんせん)だと思いますが。
さて、帰りの列車は旧車のYR-2000形気動車。
新潟トランシスの前身、新潟鐵工所製の地方交通線用気動車NDCタイプの気動車。
鳥海おもちゃ列車「なかよしこよし」編成。
おお、水戸岡デザインっぽい!!
と思ったら、「鳥海山 木のおもちゃ美術館」をデザインした砂田光紀氏らしい。
といっても、砂田氏もまた水戸岡氏といっしょにJR九州の車両をいくつか担当した経歴を持っていて、木を得意とされている方のようです。
この列車は「まごころ列車」で、秋田おばこ姿のアテンダントが乗車していて、オリジナルの記念しおりを貰いました。
ただ、空調の調子が悪く車内はひんやりとしていました。
まあ、乗車してすぐにアテンダントが謝って回っていましたが、まあこれも一興。
上着を着たままで良いし、太陽も昇って温かくなってきたし、なによりシートの座り心地が良い。
乗車時間もそんなに長い訳ではないし。
あっという間に由利本荘駅に到着です。
朝はあまり気が付きませんでしたが、由利本荘駅は新駅舎に建て替え中でした。
東西自由連絡通路も兼ねた橋上駅舎になるようです。
さて、今回はこれでおしまい。
特急「いなほ10号」で新潟を目指し、上越新幹線で東京に戻ります。
2020年も引き続き宜しくお願いします。
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