2023年06月09日
ぶらり、伊賀街道平田宿の料理旅館『梅家旅館』に泊まってきた 【第19回 いらかぐみオフ会】
2023年の「いらかぐみ」オフ会は三重県の現在は伊賀市の中心部で城下町だった伊賀上野の郊外、旧・阿山郡大山田村の平田宿にある料理旅館『梅家旅館』で6月4日に開催する事となりました。
旧街道沿いに建つ梅家旅館の主屋は登録有形文化財に指定されており、宿泊は一日一組限定となっています。
この宿は孫右衛門さんがSNSで情報提供を受け、場所的にも各メンバーのアクセスが良い近畿エリアという事で決定しました。辰巳屋さん宿の予約、今回のオフ会の幹事は万訪さんと太泉八雲が担当します。
また今回は「いらかぐみ結成20周年」という記念すべき節目のオフ会でした。
一昨年は新型コロナウイルスの影響で中止となり、昨年はコロナ渦の推移を見守りながら延期を重ね、秋の10月に兵庫県朝来市の丹波和田山宿で開催。よって20周年ですが19回目のオフ会となります。
私自身は16回目のオフ会を最後にしばらく参加できていませんでしたので、久々のオフ会となります。
そんな記念すべきオフ会でしたが、まさかの開催が危ぶまれる状況に見舞われました。
それは台風2号の影響です。直接の上陸はありませんでしたが線状降水帯が太平洋側をゆっくりと通過した為に公共交通機関が麻痺したのです。
前日の金曜夜から三重入り予定のメンバーは東海道新幹線の運休により断念。
翌朝も始発から運休は解除されず、昼頃に運行開始予定。当然ながら新幹線の予約サイトはパンク状態です。
今回、Yasukoさんが家の事情により欠席。西日本組では孫右衛門さんと辰巳屋さんが早くから現地入りされていました。
一方の東京組は足止め状態でした。新幹線だけでなく在来線も止まっていました。
北陸新幹線で金沢から特急しらさぎで名古屋をめざす大回りも検討しましたが、万訪さんが自走で行く判断をされたので、私太泉八雲も便乗させていただく事になりました。
一方URANOさんは新幹線の再開を待って鉄道で向かう判断をされました。
さて車組ですが8時に東京駅で合流して出発、しかし...
東名道ルートは新東名も含めて通行止め。中央道は伊那から先が通行止め。
やむを得ず、北陸ルートで北陸道か東海北陸道を経由して三重入りするという大回りを決断するも関越道が川越ICまで通行止めに。
圏央道経由でのアクセスに切り替えるも常磐道も通行止め、東北道を目指すも浦和IC付近が通行止めになるという八方塞がり。
東京脱出唯一残された埼玉高速で与野から一般道を北上し圏央道の桶川北本ICを目指しました。
なんとか圏央道にたどり着いた時刻は10時。ナビの計算では北陸金沢経由だと夕食の時間には間に合いません。
が、そのタイミングで中央道の通行止めが解除されました。
八王子JCTで大渋滞があったものの、その先は順調で15時ごろには名古屋入り。
刈谷PAで最後の休憩。『梅家旅館』さんへ到着が18時を過ぎる旨を連絡。
一方、URANOさんは新幹線の臨時便に乗ることが出来、1時間遅れで名古屋着。我々よりも先に伊賀入りできそうなのでピックアップを辰巳屋さん、孫右衛門さんチームに委ねました。
東京組は残り約100km。伊勢湾道〜東名阪道〜名阪国道経由を爆走。
万訪さんのドライブテクニックで何とか17:30に宿に到着する事ができました。
平田宿の外れにあるコンビニで酒肴を仕入れてチェックイン。
孫右衛門さんが先に到着されてお風呂に入られていました。
我々も交代で湯船で汗を流している間に、URANOさんも辰巳屋さんの車で無事到着されました。
登録文化財の正面主屋は消防法の関係で(原則)宿泊できないので新築の宿泊棟が中庭を挟んであります。
2階は和室3部屋がありますが1日1組なので貸し切りでした。
19時すぎに夕食。
ビールで乾杯。ただし、メンバーの体調などもあってアルコールは控えめにしました。
宿自慢の鯉は清流を引き込んだ中庭の池で3ヶ月かけて育てたもの。
臭みも無く、とれたて新鮮でした。
また鰻のすき焼きなど、一泊2食付きで1万円を切る宿泊料ながら、料理旅館だけある素晴らしい料理でした。
食事の序盤から、宿のご主人による平田宿と伊賀街道の歴史に関するお話を聞かせていただきました。
町並み保存活動の苦労話に及ぶと、いらかぐみだけあり各メンバーから建物や法律、行政などいろいろな質疑応答が続き、あっと言う間に時間が過ぎました。
部屋で懇親会を行い0時に就寝・消灯としました。
この季節、朝4時半台には空は明るくなり5時半ごろには日が昇ります。
早朝マジックアワー帯の街歩きを基本としている、太泉八雲は不覚にも5時前に目が覚め、あわててかつ静かに着替えて外へ町並みへ繰り出します。
とても気持ちの良い朝の散歩。
10年ぶりの平田宿を写真に収めて、DJI Mini3 Proで軽く空撮を行い宿に戻り、布団の中で休んでいると2度ねしてしまいました。
入れ替わる形で他のメンバーは散策を始めます。
荷物をまとめて出発の準備。
8:30朝食。
普段はあまり朝食は取らないのですが、旅館の朝だけは別です。
おかずはどれも美味しく、ガッツリご飯を4杯もお代わりしてしまいました。
前もってご主人にお願いしていた主屋を見学させて頂きました。
元々平屋だった主屋に約100年前に2階部分は増築したそうです。
長らくご主人のご両親が居住されていた場所で、家族の思い出が詰まった場所でもありました。
伊賀焼の見事な瓦。
古くから食器や信楽狸で知られる信楽焼と伊賀焼は同じ産地の土を使っているとの事。
一方は皿などの生活用品を中心に発展し、伊賀焼は瓦などの建材を中心に発展しました。
続いて平田宿の案内をして頂きました。
そもそも平田宿は正式な宿場町ではありません。と、言いますか伊賀街道が江戸幕府が指定した正式な街道では無かったのです。
伊賀街道は「伊賀越奈良道」とも呼ばれ津から長野峠を越えて上野を経て奈良へと続く道で、また古くから続くと伊勢神宮を結ぶ参宮道(伊勢街道)の一つでした。
関ヶ原の戦い後に藤堂高虎が伊勢・伊賀二国の大名となってから居城が置かれた津と支城である上野を往来する道として整備された、いわゆる「藩道」がこの伊賀街道です。
平田から東へ約8kmほどの場所に「平松宿」という宿場町がありますが、ここは元々は「上阿波宿」が水害によって壊滅した為に移転再建された宿場町でした。
平松宿と上野城下までは約16kmあり、その中間に休憩場所、馬継ぎの宿として設けられたのが平田宿です。
ただし、上野城下に近すぎた為に旅籠業などは少なかったそうです。
『梅家旅館』も当初は商家として、いろいろな商いを行っていたそうで、旅館業に転換したのは明治に入ってからとの事でした。
今回はご主人から平田の歴史から始まり、町並み保存の難しさなど多岐にわたる貴重なお話を聞かせていただき、大変学びのあるオフ会となりました。
この後、URANOさんは辰巳屋さんと名張を歩かれ、孫右衛門さんは信楽の里を散策。
太泉八雲と万訪さんは、一路東京に向けて帰路につきました。
最後に宿のご主人、中西さんにはあらためてお礼を申し上げます。
<太泉八雲 記>
料理旅館『梅家旅館』
三重県伊賀市平田374
http://www.ict.ne.jp/~umeya/
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