2011年01月02日

ぶらり、in京都・2010-2011年末年始の旅その伍・京阪ポタ

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さて、京都2日目。

昨日は洛中をぶらぶらして、あとはほとんど宿でだらだらして過ごしましたが、本日は早朝からアグレッシブに輪行ポタを行いました。

まず...小雨が降りしきる中、7:00出発、京都駅へ。

続いて、京都駅から西へ行こうか、東へ行こうかで悩んだあげく、東(実際は南です)に決めました。

停車中のJR奈良線の各駅停車がおそらく回送を兼ねた快速列車車両だったからです。

早朝ともあって、ガラガラの車内で転換クロスシートでゆったりと宇治を目指します。

宇治も本当に久々ですが、今回は町並みローラー作戦という事で。

ついでに平等院鳳凰堂も眺めようかと思いましたが、早朝の為見れず...

宇治の後は、先日奈良から京都へ来る途中のJR奈良線の車内から発見した、城陽市のおそらく旧奈良街道の家並みを調査する為に、自転車で移動。

京都と奈良を結ぶ奈良街道は、時代によって、またルートによって大和街道とも郡山街道とも称されていましたが、江戸期以降では巨椋池堤防上を通る西廻りの大和街道と、六地蔵、宇治経由である東廻りの奈良街道があり、その2つのルートが宇治市大久保(JR奈良線・新田駅)で合流していました。この交通の要衝であった大久保から南に旧街道を偲ばせる町並みがありました。

ちなみに、そのまま奈良街道を南下しますが、当初目をつけていた城陽市圏内の街道沿いには、ほとんど商家などの古民家すら残されてはいませんでした。ちなみに市名の”城陽”とは「南山城の陽のあたる町」の意味とか。

続いて、近鉄奈良線寺田駅まで移動。ここから近鉄線で向島まで北上します。

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向島からは、かつて木津川氾濫原の広大な池であり、現在は干拓地となっている巨椋池を突っ切ります。

干拓地らしい”ひたすらに真っ直ぐな道”で、早朝の空気と日光も相まって、キモチイイ!!

見渡す広大な農地の向こうに高速道路の巨大建造物との対比、コラボレーション。

その先に待っている目的地は、まず古くは巨椋池の漁業権の中核漁村として栄えた「東一口」集落。

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東一口「ひがしひとくち」ではありませんよ。超難解地名で「ひがしいもあらい」と読みます。

集落は堤防上に形成されていました。旧家山田家をはじめ、おおよそ中世の漁村集落には思えない大きな家が多い集落でした。

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続いて宇治川沿いの堤防の上を走って南下します。朝靄がまだ残りきもちいいい・・・!!サイクリング道としても最適な道に感動しました。

宇治川は淀で桂川と合流して淀川と名を変えます。その合流する三角州の段丘上に京街道の宿場町であった淀宿が残されています。ある意味で合流する2つの河川で周囲と隔絶されたようなこの場所に、往時を偲ばせる家並みが残されていた事に驚きです。

次に、木津川を渡って八幡市へ。ここでは石清水八幡宮の門前町と京街道の宿場町であった橋本の二箇所を廻ります。

橋本からはFrettaを折り畳んでの輪行。京阪電車で守口市を目指します。

橋本から各駅停車、次の樟葉駅で急行に乗り換えます。

やってきたのは、京阪電車の新型車両。大阪新線・中之島線用に導入された3000系車両で、車内は1+2の転換クロスシートに特急レベルの落ち着いた内装で、ちょっと得した気分。

守口市は京街道の宿場町として発展した町ですが、現在も高層ビル裏手の段丘上に往時を偲ばせる家並みが奇跡的にも残されています。

その前に、ちょうどお昼になったので駅前に見つけたラーメン屋で昼食をとります。

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「天下第一」というチェーン店で、なんか「天下一品」と「第一旭」を足したような店名です。注文したラーメンはふつうの醤油とんこつに熊本ラーメンでブレイクした焦がしニンニク油を入れたもの。味は普通に美味しかったですが、焦がしニンニク油が絶妙に香ばしさを引き立て、味に変化をもたらしていて良かったです。

守口宿を出発し、つぎはちょっと距離のある茨木市まで自転車で走ります。

途中、摂津市で新幹線車両基地に遭遇。おもわず鉄分が出て、写真をパチリと。

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茨木市では高野山真言宗の総持寺の寺内町を散策し、続いて古くより栄えた摂津の酒どころ、摂津富田に寄ります。摂津富田は二度目の訪問。自転車で廻ると新たな町並みも発見。

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次に高槻市を目指します。高槻は江戸時代に永井家3万6000石の城下町であり、西国街道の宿場でもありました。城郭は残っていませんが、城下町を偲ばせる家並みが何条にも渡って残されていました。場所は阪急高槻市駅の南側です。

続いて、高槻駅の反対側にある西国街道の宿場町であった芥川宿を目指します。阪急京都線を抜けて、JR京都線(東海道本線)では地下のアンダーを潜ります。が、ここで初めて自転車用の自動スロープを目にしました。目からうろこです。

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ベルトに車輪を乗せて、ブレーキをかけると、スーッと自転車がスロープを登り出します。これはいいですね。

芥川宿も広範囲にわたって往時を偲ばせる家々が残されていました。

ここから京都を目指して西国街道を北上します。西国街道は旧道をほぼ踏襲していて、ほとんど幹線道路化せず、一部には狭小箇所もあって、非常に走りやすい道です。交通量はそこそこありますが、ロードレーサー乗りも多く見かけました。

西国街道では梶原宿(高槻市)、山崎宿(大山崎町・島本町)

山崎では日本酒党の私としては滅多に飲むことはありませんが、ウイスキー山崎の蔵がある事で知られていますね。

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続いて、長岡京市駅前近くを南北に通る神足宿、だいぶ陽も落ちてきましたが、最後の力を振り絞って向日市に残る2つの宿場町(街道集落?)を廻ってから、阪急電車で京都へと戻りました。

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本日の走行距離は約90km。

こんなに走ったのは久々です。

ホイールをA-CLASS FOLEX18に、タイヤをパナレーサーのMinits Lite PT for BD-1に交換してから、確実に走行性能は向上しました。疲労度は半分くらいになったでしょうか?今後の旅が楽しみです。



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