2011年04月04日
ぶらり、ORi BikeM10輪行・舞浜から浦安「中町」「新町」へ
今回の「東日本大震災」によって都心部で最も大きな被害を被ったのが千葉県浦安市。町の名にピンとこなくても、「東京ディズニーランド」のある町といえば多くの人はなんとなくその場所は分かるでしょうか。
大被害といっても、目立った犠牲者が出たわけではなく、その規模・内容と共に東北の三陸地域や福島の原発事故に比べる程のものでは無いものの、違った意味で東京及びその近郊の住民に大きな衝撃を与えたのも事実です。
キーワードは「液状化」。埋立地には運命的に付きまとうこの現象は、ずっとずっと以前から「伝承」のように言われ続けてきた事であったものの、長く現実のものとはなってこなかった為に、ある種の「都市伝説」に近い事象となっていました。
いつか訪れるであろう「東京大震災」が語られるたびに、テレビなどでCGの再現シミュレーション映像を目にしたことはあっても、この二本足で立っている「大地」が「液状化」するなど、まったく真剣に考えうる常識の範囲外でもあったのは事実です。なにより「埋立地」は「ベイエリア」、一昔前は「ウォーターフロント」と称される憧れの町であり、最新の高層ビルや高層マンションが建ち並ぶセレブな「聖地」でもあったのですから。それが一夜にして、「泥の町」と化したのです。
そもそも、この液状化現象とは、地震の際に地下水位の高い砂地盤が、振動によって液体状になる現象をいいます。比重の大きい構造物が埋もれ、逆に比重の軽い下水管などの地中構造物が浮き上がったりするのですが、これが今回顕著に発生し、浦安震災のメイン映像として各種媒体で取り上げられていました。
また、液状化を起こした砂が表層部を突き破り、水と砂の混合物がアスファルトの亀裂から吹き上げるボイリング(噴砂)と呼ぶ現象もテレビなどで繰り返し放送され、浦安市街を泥の海に包み込んだのです。
この浦安市は、私が幼年期に育った町でもあってその惨状を一目だけでも見てみたい思いがありましたが、わざわざ野次馬的に訪れるのも気が引けて躊躇してしました。
ところが、今回この町に行く機会が訪れたのです。
浦安市に住んでいる会社の上司「A事業部長」の家がこの災害で被災し、ご家族は他県の実家に避難。主人一人残された家の「復旧」後片付けに、部の有志の一人として手を挙げたのです。
「A事業部長」の家は、今回の災害で最も被害の大きな「中町地区」と呼ばれる、昭和40年から50年ごろにかけて埋め立てられた地区にある一軒家です。
JR「新浦安駅」に10:30に集合でしたが、私は早朝にORiBikeに乗って家を出ました。話題に包まれた東京ディズニーランド周辺も見てみたかったからです。
東京ディズニーランドのあるJR「舞浜駅」には、7:00ごろ到着。駅は閑散としてゴーストタウンと化しているかと思いましたが、ごく普段の通勤時間のように駅から改札まで多くの通勤者で溢れていることに驚かされました。
地面が隆起し、吹き出しだボイリングとめくれ上がったタイル、杭が打ち込まれた柱や橋脚が地面がら浮き出している風景に、今回の地震の大きさ、大地のパワーを目のあたりにしました。そんな駅前ロータリーにも、普段のように路線バスがひっきりなしに通勤者を載せていっていたのです。
東京ディズニーランドの職員と周辺ホテルの従業員でしょうか。東京ディズニーランドの復旧はほぼ終わり、いつでも開園ができる状態にあるそうですが、電力不足の社会状況から営業を自粛しているそうです。
20年ぶりに訪れましたが、モノレールやホテル、巨大立体駐車場など以前よりも、一層「都市」のごとく成長している「夢の魔法の町」に驚かされました。ディズニーランド、ディズニーシーそしてベイエリアのホテル地区をぐるりと周り、舞浜駅に戻ってくるのですが、あちこちで液状化の爪痕が残っていました。
舞浜から伝平橋を渡って鉄工団地へ。このあたりは最も液状化の激しい昭和40年から50年代の埋立地です。鉄工団地の先は、「中町」と呼ばれる中低層の団地と一戸建ての閑静な住宅街ですが、その爪痕は生々しいものでした。ビルは浮き上がり、民家の塀は粉々に砕け、またいびつに倒れ込んでいる。マンションの門は中に浮き、電柱は大きく傾いていて、まさに「大地震の光景」といった感じ。地中から吹き出した細かな白い砂が乾燥して細かい粒子となって町を覆い、あたかも灰に包まれているかの様相でした。
「A事業部長」のご自宅がどこにあるかは知らないので、とりあえず集合場所の「新浦安駅」へ。
メディアでも度々取り上げられている、駅エレベーターの建物。駅施設全体が高架線の橋脚と共に浮き上がっている(か、周囲が沈下している)状況にありましたが、駅前広場で一際シュールに目立っていました。写真を撮っていると偶然にも、この施設を施工した方が被害の様子を写真に収めていました。
駅周辺に建つ、少し古めの昭和50年代あたりの10階建てマンションが、どうも水平がおかしい。これは明らかにマンションそのものが傾いている事が一目でわかります。
集合時間まで、まだ2時間近くあるので、今度は新浦安駅から海に向かって「新町」地区を見て回りました。
「新町」地区は新しい埋立地区で、高層マンションも今流行のカジュアル&シックな佇まいであり、地区全体が広い道路と歩道で碁盤の目のようになっています。
新しい埋立地ほど、地固めが不完全で液状化の被害が大きいかと思いましたが、工法の違いでしょうか?たしかにこの新町地区も歩道はブロックやタイルがめくれ上がり、支柱が倒壊していたりしていましたが、下水関係なども耐震構造になっているようで、まるで戦災のような「中町」地区に比べると、被害はそれほど大きくはありませんでした。
それでも、歩道部分などは走っていると気がつきにくいものの、随所で波を打っていたり段差があったりしていて、サスペンションの無いORiBikeでは、ちょっと振動や衝撃に難儀しました。自転車のタイヤが巻き上げる細かな白い砂は、チェーンやギアにまとわりついて、ディレーラーのプーリーの動きも鈍くします。
思わず路面段差の衝撃で、チェーンがチェーンホイールから外れる事数回。チェーンの隅々にまで入り込んだ砂のせいで、ジャリジャリ音もします。
泥よけも無いので、この時ばかりは持ってくるのをOriBikeではなくFretta(BD-1)にしておけば良かったと思いました。
今度は、JR京葉線、国道357号線、湾岸自動車道を越えて、「元町」地区へ。このあたりは浦安市の原点だった場所で、埋立も古く、新旧の町が入り乱れています。河川堤防に大きな損壊が見られましたが、住宅地は特に目立つ爪痕は見られません。
境川に沿って、「中町」地区へ戻ります。テレビでなんども取り上げられていた、地中から飛び出した下水口はいち早く撤去されたようで、いくら探しても見る事はできませんでしたが、道路にそれらを埋め戻した跡が残っていました。
それでも、歩道上や交通量の少ない裏通りなどで飛び出した小さな下水口は優先順位が低いのか、まだいくつも残されています。もっとも埋め戻された下水も、ただぶった切って埋めただけで、下水はまだ復旧していないとの事(「A事業部長」談)
今日は今週一番の冷え込みで、風も強く細かい白い砂が砂埃となって舞い上がっています。なんだかもう帰りたくなりましたが、さすがにそうは行きません。
隆起して落ち込み、斜めになった道路。逆の方向に倒れる電柱。かつての堤防だったのでしょうか?その上を走る幹線道路は大きく歪み被災していました。その堤防の壁面には仮設の上水口がいくつも設けられていました。
そんな住宅街を一台の黒塗りの高級車がうろうろしていました。その筋の車ではなく、緑ナンバーのハイヤーだったのでピンときましたが、案の定報道関係者でした。カメラマンとレポーターとディレクターの3人。今さらな事ではありませんが、黒塗りのハイヤーとは良い身分ですね。今の時代にそんな経費が出る事だけでうらやましいです。彼らは住宅街の「画」になりそうな場所を探していたようでした。
時間になったので駅に向かうと、有志は半分しか来ていませんでした。その後「A事業部長」宅へ。ゴルフボールが自然に転げ出すのを見て「おお傾いていますね〜」とか、倒壊した塀は素人の手ではどうしようもないので、家の周りの泥を除去したり、水が出ないので、吹き上げた土砂で埋まった自転車や車などは軽く掃除して、あとは主一人となった少し傾いた家にて、コンビニ食で飲んで喰って帰りました。ゴミは持ち帰り。トイレはコンビニで。
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