昨日の夜の東京を出発。
連日の飲み会の疲れが溜まっているのか、頻繁に睡魔に襲われ、途中PA/SAで仮眠を取りつつ、三重県入りしたのが深夜の2時。その後終点「亀山SA」で朝まで仮眠。
なんだか今日は暖かいぞ。東京よりも数十倍暖かかったです。
さて、今回の初日は奈良の酒蔵巡り(場合によっては地元スーパー巡り」を行い、特に奈良の地酒2蔵をなんとか手に入れて奈良の酒蔵制覇と成る予定です。(すでに千葉の酒蔵は全て制覇しています。大阪はあと一歩)
翌朝、亀山SAを出発して名阪国道を南下。
まず最初は今は伊賀市の一部となった旧阿山郡伊賀町にある「芭蕉」を醸す橋本酒造場さんへ。(明治20年創業)
古い街道沿いにある小さな酒蔵ですが、休日という事もあってお休み。お酒は近くのスーパーでゲットしました。
そのまま伊賀市の中心部で城下町であった旧上野市へ向けて南下。その途中にある「妙の華」の森喜酒造場さんへと寄ってみました。創業は昭和23年と若いこの蔵は、最近では「るみ子の酒」や「英(はなぶさ)」などで県外にも知られています。
ここも本日はお休みでしたが、「英」を過去に飲んでいるので蔵の外観だけ撮影して次の蔵へ。
いよいよ伊賀上野の城下町へ。まず最初は西大手町にある「三重錦」の中井酒造場さんへ 。
南北に走るメインストリート沿いに道路を挟んで商店と蔵が建っています。創業は藩政期が終わった後の明治30年です。
ここでは無事に蔵で直接お酒を買うことができました。
つづいて城下町の面影を残す中心部を抜けて、町の南東側。閑静な住宅街の中にある「富士正宗」の平和酒造さんへ。
昭和23年創業の小さな蔵で、あまり数は造っていないようす。4合瓶は「みつくりの里」純米吟醸の1本のみと言うことでそれを購入。
伊賀上野の中心部はこれで終了。つい最近まで合併前の旧上野市内だけでも10軒の酒蔵がありましたが、うち5軒は廃業しています。今回巡った蔵以外にも旧上野市内には県外に広く名の知れた「黒松翁」の森本酒造(森本仙右衛門商店)があります。
さて、続いて旧青山町方面へと南下。途中道を東に反れて暫く走ると、大きな酒蔵を中心とした農村集落が見えてきました。
「福の聲」(福の声)の福井酒造場(明治33年創業)です。ナビで検索しても出てこないので住所を頼りに訪問。ほぼ廃業しているものと思いましたが、まだまだ健在でした。
ただ製品は2種類。あまり流通商品は造っていなさそうで、(後に地域のスーパーで販売されている事を発見)基本的に1升瓶しか造っていないそうですが、偶然にも1本だけ4合瓶の在庫が残っていた生原酒を購入しました。
さて続いて名張市エリアへと向かいます。ここには5軒の酒蔵があります。(数年前までは6軒ありました)
名張市に入る前にまず上野市街から南下すると、伊勢街道の宿場町として栄えた旧青山町にぶつかります。ここには三重の酒を代表する一つ「若戎」(わかえびす)の若戎酒造がありますが、過去に何度も来ているので今回はスルーして先に進みます。
名張は伊勢街道の宿場町にして名張藤堂家1万5000石の陣屋町として栄えた町で今でも町の一画にその面影を残しています。
町の中心分には2軒の酒蔵があります。
まず本町にある「高砂」の木屋正酒造さん。東京や大阪などの一部特約店限定で販売される「而今」(じこん)でその名が知られていますが、地元流通の「高砂」はほとんど造っていないそうです。今は蔵での小売りも行っていないとの事。
ここも数回訪れているので、市内ではもう一見の蔵が本日の本命でした。
新町の名張川沿いに建つ「旭金時」の北村酒造さんへ。しかしどうも本日はお休みのようで、しかたなく近くの酒屋さんで購入する事にしました。しかしそこで衝撃の事実。
な、なんとすでに廃業してしまったとの事。数年前に名張に訪れた時はまだ健在だったのですが、その時に買っておくべきだと後悔しています。
次に向かったのが中心部から少し離れた場所にある「参宮」で有名な澤佐酒造さんへ。寛政5年(1793)創業の老舗です。
ラインナップも豊富で悩みましたが、旨みのある純米酒を紹介されてそれを購入。
続いて国道165号線を初瀬方面へと南下。途中”赤目四十八滝”で知られる赤目地区には2軒の酒蔵があります。
国道沿いに建つ「天下錦」の福持酒造場さん(明治8年創業)では無事購入。
もう一見、赤目四十八滝の入口に建つ「瀧自慢」の瀧自慢酒造さん(明治元年創業)は県外にも広くしられる三重県の代表蔵の一つ。朝からお客さんがいっぱい来ていました。過去に何度も飲んでいるので今回は見学だけ。
そして名阪国道をひた走り、いよいよ奈良入りします。
奈良の酒蔵は残り2軒で制覇です。
天理市郊外の山里。名阪国道すぐそばの集落内に建つ増田酒造さん「都姫」を醸す小さな蔵です。創業は寛永2年(1625)と、徳川家光の時代ですよ。
以前に訪れた時は人影もなく、廃業の予感が漂っていました。その後電話で問い合わせをしてみると奈良市内では2軒のみ取り扱いがあるとの事。しかし行ってみると、一升瓶の普通酒のみの取り扱いでしかも品切れとの事。
う〜んこれはもしかしたら地元限定の少量生産でしかも集約醸造か?とも疑いましたが、その後、居酒屋「樽八」なども経営していて、いくつかのラインナップも有している蔵だと判明。HPも無いし奈良県酒造組合での紹介もほとんどなく、ネットで調べてもまるで情報の無い、謎の蔵だったのですよ。
でも今回再び蔵を訪れ、蔵の方に直接声を掛けてみると、それはもう丁寧な対応をしてくださり恐縮してしまいました。
そして新しいブランドの「神韻」を購入しました。いや〜よかった。
さして最後の1軒。
ここから約40kmほど離れた三重県と接する県下最南端の宇陀郡御杖村。神末は奥宇陀に残る伊勢本街道の宿場町で、ここにも「日の出」を醸す岡野酒造さんがあります。
立地する場所がそれはもう辺境の地であり、しかもこの蔵のお酒を購入できるお店は「道の駅・伊勢本街道御杖」くらいと、少し自家醸造すらも疑っていまいしたが、実際に訪れてみるとそこそこの醸造設備はあるようで、店頭でも値札を付けて販売されていました。
4合瓶の種類も結構あって(3種類ですが)ぶじ購入。
これでついに奈良の地酒は完遂です!!
今朝コンビニでパンと缶コーヒーを口にして依頼、夕方4時まで食事抜きで駆け回り、ようやく辿り着いたのが「餃子の王将」....えええ。
でもまあ、関西に来たときくらいしか入らないのでね。
オーソドックスにラーメン&チャーハンセット。
先日購入したSONY サイバーショット DSC-RX100で初のグルメネタ写真を撮ってみました。
う〜ん。ボケが美しいですね。でもちょっとボケすぎ...。やっぱりF値4くらいが丁度良いらしいですが納得。
餃子も撮ってみました。
そして橿原市今井町にある宿「嘉雲亭」に到着。
今年の年末年始も1軒貸切となりました。
一人だけなので好きな部屋を選べましたが、昨年と同じ奥の庭側、床の間のある部屋を選択。
そして宿の玄関で自転車の組み立てを始めました。
最高のサイクルガレージですね。
そう。今回はORi Bike M10といっしょにロードバイク「SPECIALIZED Roubaix SL3」を持ち込みました。
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『一路一会』
http://www.ichiro-ichie.com/04tokai/mie/kusuhara/kusuhara01.html
◇
>この道が開かれたのは平安時代のことで、
>京都方面からの参宮道となった。
津市観光協会:楠原宿(くすはらじゅく)
ttps://www.tsukanko.jp/model/807/
東海道五十三次という枠組みだと
江戸期以降の視点となりますが、
伊勢別街道は、平安、室町時代から、将軍のお伊勢参りなどで
使われています。
参宮街道としては、将軍の随行貴族の日記などで
京から安濃津までは2日の旅程との記述があるそうです。
京都から、自転車で甲賀(滋賀)、関(亀山)を抜け
津へ走ったことがありますが、
下道は90km弱、帰りは7hほどだったと記憶。
また、下掲、長野工藤氏、雲林院氏の拠点であった
北神山や河内谷周辺の砦は、中世以来、御所権力周縁とは
後ろ盾の関係があります。
農林水産省 東海農政局「地域の紹介」旧津市地域
ttps://www.maff.go.jp/tokai/noson/kisocho/chuusei/chiiki.html
>光成は、父から新当流兵法を伝授され、
>さらに一時期、柳生宗矩のもとにも身を寄せており、柳生新影流をも
>学んでいたようである。1621(元和7)年、宗矩の弟子
>村田弥三より、新影流の目録等を授けられている。
「宮本武蔵最後の決闘相手:伊勢の剣豪 雲林院光成」
三重県文化振興課 県史編さん班 小林秀
ttps://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/hakken/detail.asp?record=208
参宮街道のある中勢地域や伊賀は、
歴史的には畿内と繋がりの深い地域なので、
東海区分に記事を関連付けてしまうと、
面としての拡がりを捉えるに違和感を感じます。
また関連記事を書く機会がありましたら、ご参考までにどうぞ。
ご丁寧な説明ありがとうございました。
なかなか個人では調べられない事が多く、こういった投稿はとてもありがたいです。
今後とも宜しくお願いします。