2013年11月04日

ぶらり、Audi A4アバントで長野東信の酒蔵巡りをしてきた【中編】

audia4sakagura_53.JPG

秋口の北信州という事もあって、今朝は結構冷えました。
まあ、それなりの装備は持って来ていたので、凍える事はありませんでしたが、車を降りると霧が出ていて幻想的な良い感じの出だしでした。

audia4sakagura_01.JPG

昨晩東京を出発して、200km以上走ってきましたが、一気に走るにはちょうど良い距離です。
久々にハンドルを握った事と、Audi A4への興奮を加味しても、疲れはまったくありません。
まあ、始まったばかりですが。

audia4sakagura_58.JPG

【前編】でも少しかきましたが、わたくしが以前載っていたフォルクスワーゲンのゴルフヴァリアントの兄弟車という事もあって、良い意味では悪い意味でもさすが『欧州のトヨタ』フォルクスワーゲンです。共通部品が多いので、その分感動よりもなつかしい気分に。

4つのリングがエンブレムのアウディですが、私が学生のころはまだ独立したメーカーでした。(まあダイムラー・ベンツの資本が入っていましたが...)
4つのリングは「フォー・シルバー・リングス」と言って、ホルヒ、アウディ、ヴァンダラー、DKWの4社が合併して生まれた会社で、エンブレムもそれに由来します。当時の社名はアウトウニオンといって日本語に訳すと「自動車連合」の意味。

ちなみに4社の内ヴァンダラーとDKW(デーカーヴェー)は主に2輪メーカーで、4輪メーカーのホルヒとアウディは、同じ創業者のアウグスト・ホルヒがつくった会社でした。
創業者のアウグスト・ホルヒの「ホルヒ」はドイツ語の「聞く」の意味で、「アウディ」という名はこれもラテン語で「聞く」という意味であり「オーディオ」の語源でもあります。

そんなうんちくは置いておいて、

audia4sakagura_08.JPG

出発前に少しレクチャーを受けないといけないドイツの高級車。
少々面倒臭く感じるかも知れませんが、慣れるとこれがみなちゃんとした意味を持っていて、なるほど良く考えられているな、と最後には感心するものなのです。

そこへ行くとアウディは他の高級車メーカーと比べて操作系は基本に忠実です。

インテリアデザインもあまり奇をてらったものではありません。
そういう意味ではちょっと新鮮みが薄れる感じもします。

audia4sakagura_04.JPG

アウディ独特のデザインでいうと、昔からシフトパネル周辺にボタン類が集中して配置されている事ですね。
初めは何かと思いましたが、主にオーディオ系や今ではナビの操作系のボタンです。

ダッシュパネルに手を伸ばさなくても、手元で操作できるようになっているのですね。
もちろん走行中は視線を大きく移す事になりますから、慣れるとブランドで操作できるように考えられています。

audia4sakagura_06.JPG

オーディオのボリューム兼ON/OFFスイッチ。
その上にある((P))のスイッチはサイドブレーキです。
その下にある((A))のスイッチは、停車時に自動でパーキングブレーキをかける機能。渋滞時とかに便利かな?

audia4sakagura_07.JPG

アウディはフォルクスワーゲンと同じで、キー本体をダッシュパネルに差し込んで、それがスタートスイッチになる方法を採用していますが、なぜかシフトパネル横にもエンジンスイッチがあります。

不思議だ〜。

と思ったら、実はリモコンキーを身につけていれば、鍵を鍵穴に差し込まなくても良かったのですよ。
って返却後に気がつきました。

audia4sakagura_05.JPG

BMWの「iDrive」と同じような機能を持たせた「MMI 3G Plus(マルチメディアインターフェイス)」

かなり小振りですが、ダイヤルはカチカチと小気味良く動作します。
操作系はBMWのそれと似ている面もあるので、慣れるのは早かったです。

ただ、ナビの性能、操作系はBMWの「iDrive」の方が上かな?

audia4sakagura_54.JPG

と、言うわけで旅の続きです。

「信州中野」実は本家サイトの「一路一会」の町並み紹介でも、いまだに掲載していない町だったのです。

と言うのも、最初に訪れたのは10年以上前でしたが、その当時にしても信州中野に古い町並みが残されている印象が無かったのです。

しかし、先日BMW320iの旅で訪れた時に、結構古い町並みが残っているのを発見。
そこで時間的余裕のある今回、信州中野の町並み散策をスケジュールに入れる事にしたのです。

audia4sakagura_62.JPG

ただし、町並みが広範囲に点在しているのも確認済み。
しかも、裏路地などにも隠れた町並みがありそうな臭いも感じていたので、久々に持って来ましたORi Bike M10。


shinshunakano34.JPG

「信州中野」は北信の中心都市だった町です。

”だった”という過去形なのは時代の栄枯盛衰と一言で語る事はできませんが、もしかしたら長野県の県都となって、さらに「長野」という県名も生まれていなかったかも知れないのです。

shinshunakano28.JPG

現在の「長野県」は、「信濃国」をほぼそのまま踏襲して成立しています。
「信州」というのは「信濃国」の略称。

で、その信濃国には意外にもこれといった大きな大名家の支配する藩はありませんでした。
飯山藩、須坂藩、松代藩、上田藩、小諸藩、松本藩...などなど。

その中でも5万石以上の藩は松代藩10万石、上田藩5万石、松本藩6万石くらいです。

shinshunakano31.JPG

逆に大部分は「天領」つまりは幕府直轄地だったわけですね。
そして中野には北信濃6万石・30ヶ村を支配する幕府の出先機関「中野陣屋」が置かれていました。

明治になると、中野陣屋は中野県庁となり「中野県」が成立します。

shinshunakano29.JPG

中央官庁の出先機関が置かれ、政治経済の中心地となれば特権商人などの豪商も集まります。

一方で、江戸時代からの過酷な年貢の収奪、そして明治の混乱期における凶作と物価上昇は、ついに農民の積年の恨みに火をつける事になります。

shinshunakano30.JPG

「中野騒動」と呼ばれる世直し一揆によって中野の町は焦土と化してしまいます。

その為「県都」の復興は中野から離れた、善光寺門前の長野村で行われる事となり、ここに「長野県」が発足する事になります。

shinshunakano33.JPG

そんな訳で、農民のターゲットとなった豪商の屋敷はことごとく消滅したものと思っていましたが、実際に散策してみると、意外にも大きな蔵があちこちに残されていました。

shinshunakano32.JPG

うっすら霧がかった、少しひんやりとする中野の町をぐるりと走って、信州中野取材は終了。

次はいよいよ酒蔵巡りを始めます。

audia4sakagura_68.JPG

そうそう、信州中野にはレンズメーカーの「コシナ」の本社工場があるのですよ。
なので、ちょっと寄り道をしてみました。




この記事はあなたのの役に立ちましたでしょうか?
よろしけれは、ポチッと応援をお願いします。

 ↓   ↓
人気ブログランキングへ


この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/79853573
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック